約1100年前貞観11年(西暦869年)疫病が流行しおびただしい死者が発生し人はこれを牛頭天王なる神の祟りとした。そこで6月7日国数に準じて66本の鉾を建てて祭事を営み、さらに14日には御輿をかついで二条城の南にある神泉苑に参集し、祈祷により疫神の祟りをはらわんとした。これが祇園御霊会と呼ばれ祇園祭の起源となった。南北朝のころか町々で悪疫を払う意味の鉾と並んで作山をこしらえ祭りに興を添えるようになった。
鉾の上で囃されるコンチキチンの祇園囃子は能楽の影響の元室町時代に成立し、江戸時代に今のように優雅な囃子になったと伝えられています。楽器は鉦、太鼓、笛である。囃子方は、鉾により多少異なるが、鉦方8名、笛方8名、太鼓方2名で交代要員を含めると約40人である。囃子の曲目は鉾により異り、鉾独自のものである。
この日より一ヶ月に及ぶ祇園祭が始まります。鉾町では祭神をお祭りし御祓い祭の無事を祈願しお囃子の稽古を始めます。
山鉾巡行の順番をくじできめる式。京都市役所市議会議場で行われます。
2002年の行列の順番は下記のとおり決定しました。太字はくじ取らずの鉾山です。
(1)長刀鉾(2)油天神山(3)保昌山(4)郭巨山(5)函谷鉾(6)孟宗山(7)四条傘鉾(8)占出山(9)菊水鉾(10)太子山(11)伯牙山(12)木賊山(13)鶏鉾(14)白楽天山(15)綾傘鉾(16)蟷螂山(17)月鉾(18)芦刈山(19)山伏山(20)霰天神山(21)放下鉾(22)岩戸山(23)船鉾
(24)北観音山(25)橋弁慶山(26)鈴鹿山(27)浄妙山(28)八幡山(29)役行者山(30)鯉山(31)黒主山(32)南観音山
鉾の組立には一本の釘も使用しません。縄で組み立てていきます。縄の結びや縄がけの数は鉾により違います。鉾の高さは約25mあり最初は地面に寝ています。それを、大綱をひいて鉾を起こします。その後屋根、天井、車輪を取り付け、胴巻き、水引、見送りをつけ完成します。
提灯をたて神輿洗いの神輿を迎えます。稚児武者の子供達が行列します。
八坂神社→市役所→八坂神社
八坂神社から四条大橋まで神輿をかつぎ鴨川の水で清められます。
お稚児さんが八坂神社に詣ります。お位貰いの儀で五位少将の位を長刀鉾のお稚児さんがもらいます。
宵山(7月16日)
1999年の宵山
夕方から各町では鉾山を飾り前後に駒形提灯をつるし祇園囃子を奏でます。また、鉾町の町屋が代々秘蔵の屏風を飾ります。
鉾山の位置と説明。
写真は巡行風景を使用。
姉小路通 |
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三条通 |
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六角通 |
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蛸薬師通 |
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錦小路通 |
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四条通 |
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綾小路通 |
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佛光寺通 |
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高辻通 |
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松原通 |
保昌山 | ||||||
油 小 路 |
西 洞 院 |
新 町 通 |
室 町 通 |
烏 丸 通 |
東 洞 院 |
朝9時に長刀鉾を先頭に四条烏丸をスタート。
四条堺町で山鉾がくじ通りの順かどうかを奉行に確認してもらうくじ改め。
四条麩屋町で道路に横切って張ってあるしめ縄を長刀鉾の稚児が切り巡行の道を開くしめ縄きり。
9時半頃四条河原町で辻まわし。10時過ぎに河原町御池で辻まわし。
山鉾巡行は以前、7月17日(前祭 山鉾20基)、7月24日(後祭 山9基)の2回にわかれていました。昭和41年(1966)、後祭が17日に合流し、後祭りの行事が喪失したために興されたのが、花傘巡行のはじまりです。
巡行列
高士−馬長旗− 八坂神社清々講社馬長−八坂神社婦人会馬長−祇園万灯会馬長− 八坂神社清々講社旗−八坂神社婦人会旗−さぎ舞保存会旗−花傘ー棒振−さぎ−
竭鼓− 提灯−祇園田楽旗-花傘−田楽−久世六斎保存会旗−六斎−京都織物卸商業組合花傘− 花傘娘旗−花傘娘−織商鉾
−祇園東お茶屋組合花傘−小町踊−先斗町お茶屋組合花傘−歌舞伎踊− 祇園万灯会旗−花傘−さぎ舞踊旗−さぎ踊−万灯踊旗−万灯踊−北観音山祇園囃子−子供神輿
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